大阪高等裁判所 昭和29年(ネ)286号 判決 1955年11月14日
控訴人 花井秀次
右代理人 藤岡政一
被控訴人 花井秀吉
右代理人 宮本利吉
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
理由
原判決主文第一項記載の各建物(以下本件建物と略称する)は控訴人が大正七年一一月四日父秀吉の死亡によりその家督相続をなして所有権を取得した財産の一部であつて、現に被控訴人の所有に属すること、並に右建物には被控訴人が母やく及び弟である控訴人と共に居住していたが、昭和一一年頃被控訴人のみは他に退去し、以来控訴人が母と共に之に居住を続け、右やくは昭和二五年七月二〇日死亡した事実及び被控訴人が昭和二六年三月一六日控訴人に対し本件建物の明渡を請求した事実はいずれも当事者間に争のないところであるが、控訴人は被控訴人が昭和一一年にこの建物から退去する際に控訴人に対し永久に解約しない約の下にこの建物を無償で使用することを承諾したものであり仮にそうでないとしても被控訴人の使用貸借契約解約の意思表示は権利の濫用であつて許すべからさるものであると主張するから、以下被控訴人が右建物から退去する前後より母やくの死亡にいたる迄の事情について考察する。
原審証人花井健二、田中きぬ江当審証人塩田亀一、花井貞子の各証言、原審及び当審における控訴人本人の各供述並に被控訴人本人の各供述の一部を綜合すると、被控訴人は元来母やくとの折合が悪く、殊に昭和五年に家族親戚の反対を押切つて結婚して以来不和が一層つのり遂に昭和一一年に妻子を連れて家出をして了つたものであり、その後控訴人に対し相当額の財産分けをしたけれども、全くこの建物には寄付いたこともなく、勿論母に対して唯一回の孝養を尽したこともないのであつて、母やくの扶養及びその死亡前の入院手術その他の看護もすべて控訴人が独力で之に当つたこと、並に被控訴人は母の重態の報を受けても遂に見舞にも来たことはなく、葬儀にも一切関与しなかつたので、控訴人は已むなく被控訴人の名義を以て葬儀を執行した事実を各認定するに十分であつて、この認定を左右するに足る証拠は無い。而してかような事実関係においては被控訴人は子として母を遇するの途においては甚だしく欠けたところのあつたことは勿論である。
併しながら右のような経過においては被控訴人が昭和一一年にこの建物から退去する際に控訴人に対し永久に解約せぬ約で使用貸借契約を結んだとは認定するに足りず、単に控訴人が母を扶養している間は無償でこの建物に居住することを許容したにすぎないものと認定するのが相当である。又権利濫用の抗弁についても、被控訴人が控訴人との間の使用貸借契約を解約して明渡を請求することが権利の濫用として許すべからぎるものであると見るためには、この両者相互の間に何等かの特別の事情が存在することを要するものであつて、たとえ被控訴人がその母に対してどのような仕打があつたとしても、控訴人が母を扶養していた当時はとも角その死亡後控訴人に対し建物の明渡の請求があつた場合に右の事由を理由として明渡を拒むことはできないと解しなければならい。尤も先に掲げた各証拠によれば、被控訴人は右明渡の請求をなして以後は従兄弟に当る藤田喜太郎、宮本義種等を介して執えうに明渡の請求を繰返し、或るときは突然トラツクに荷物を積んでこの建物に押入ろうとし、或は被控訴人自ら控訴人の承諾を得ることなく座敷に入込んで無用の紛議を繰返したことも明であるが、この事も直ちに被控訴人の本件明渡請求の訴を不当と見なければならぬ程の事実とは見られない。要するに控訴人がどのよらに母を扶養看護したとしても、そのことは母の死亡後いつまでも被控訴人所有の建物内に居住する理由にはならないものと解するの外はないのであつて、被控訴人が昭和二六年三月一四日控訴人に対し同年七月末日限り明渡を求めたことにより、先に認定した使用貸借契約解約の意思表示をなしたものと見るべく右期限の到来と共に控訴人は本件建物を明渡すべき義務を生じたものと認める。
以上の次第であるから、被控訴人の本件明渡の請求は正当として認容すべく、之と同趣旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、之を棄却し、民事訴訟法第三八四条第八九条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 朝山二郎 裁判官 大西和夫 沢井種雄)